『死化粧師オロスコ』に寄せて 作家・DJ 清野栄一 釣崎清隆の写真をはじめて見たのは十一年前だ。タイへ行くからカメラを貸してくれという彼に一眼レフを渡した。雑誌に載った写真の中で、うつぶせになった溺死体の後頭部と背中が水の中にぼんやり浮かんでいた。雑誌から頼まれただけだと彼は言った。その後どうして死体ばかり撮り続けているのか詳しく聞いたこともないが、作品はずっと目にしてきた。グロテスクで猟奇じみた死体写真を自分の部屋に飾りたいとは思わなかった。でもそれがただの腐った肉の塊や、千切れた手首のスナップではなくて、ひとつの表現であるのは確かだった。 写真の中の見知らぬ彼らは、もう死んでいるのに、かろうじてまだあの世ではなくこの世にとどまっている。釣崎清隆はそのあわいを漂う肉体を切り取って、フィルムの上に固定する。引き延ばされたその写真を観るのは、自殺について書かれた文章を読むのと似ている。生きている人間にとって、死はまぎれもない現実なのに、虚構であり続ける。写真は過去からの光なのに、死は逃れようのない未来のままだ。必ずやってくるのに絶対に知りえない瀬戸際を、生きている人々に突きつけるのだ。 センセーショナルでキワモノ的な扱いを受けながらも、彼の写真は一部のマニアから熱烈な支持を集めた。タブロイド紙に死体写真が載っているタイなどと違い、日航機墜落事故で木にひっかかった死体写真を掲載した写真週刊誌に苦情が殺到してから、日本のメディアは死体が写った現場写真をほとんど掲載しなくなった。7500人もの死者を出した阪神淡路大震災の報道でも、死体がマスコミに登場することはなかった。その一方で、書店では『死体論』などの本が平積みになっていた。釣崎清隆の写真は、そんな時代に、肉体の死そのものをストレートに見せていた。死体写真を観て興奮したり、耽美的なインスピレーションを受けるという人たちも世の中には少なからずいる。 タイの次に訪れたのが、この映画の舞台となった、世界でもっとも治安が悪い国のひとつであるコロンビアだった。高校時代に8ミリ映画から映像の世界に入った彼が、やがてエンバーマーという「生きた」被写体と出会った時、カメラではなくビデオをまわしはじめたのは当然の成り行きだった。アトリエに運ばれてきた死体が解剖され、洗浄と死化粧を施されて棺桶に収められる。流し場をホースの水で洗い流すとすぐに、次の死体が運ばれてくる。その様子を彼はビデオに収め続けた。 はじめてこの映画を観た時、最初はそのグロテスクなシーンがいつまで続くのかと思った。エンバーミングと呼ばれる一連の行為が、延々と続くループのようにひたすら撮り返される。淡々とそれを眺めていた自分の注意は、いつしか死体ではなく、死化粧師オロスコのほうへと向けられていた。 ドキュメンタリー映画には珍しい、ミニマリズム的ともいえるこの手法を、編集によってさらに際立たせることで、釣崎清隆はコロンビアの現実を表現しようと試みている。貧乏人が大金を払ってオロスコに死化粧を頼む。オロスコの指先が死者に化粧を施し、服を着せ、ボタンをはめ、髪をとかしていく。エンバーミングは、コロンビアの日常に嫌というほど有り余る死を、そうやって虚構化していく作業に他ならない。そこに漂っているのは、ガルシア・マルケスが『百年の孤独』で描こうとしたのと同じ、ラテン・アメリカの「孤独」そのものなのだ。やがてカメラを持った傍観者だった釣崎清隆自身が、カラの向こうのオロスコと交錯する場面で、観客はこの映像が、死体を写したスナッフ・フィルムでも、エンバーミングのドキュメンタリーでもなくて、まぎれもない映画作品だと気づかされる。 この映画ができてから五年の間に、9.11テロを境にして世界が大きく変わったことに異を唱える人はいないだろう。テレビでは毎日のように戦争やテロのニュースが流れ、日本では自殺者が増加し続けている。五年前には希薄だった死という言葉や、そのイメージが、マスコミや巷にあふれるようになった。でもそれは、ボゴタやバグダッドやパレスチナに転がっている死や孤独と同じではない。釣崎清隆はその狭間を行き来しながら作品をつくり続けている、希有なアーティストのひとりなのだ。 |
|